旅のツワモノ2

nobuさんはおれがベルギーから帰って来ると宿にいた。
この方、色々な評判があるが俺は悪い人には感じなかった。
なんでも大手デパートに努めていたらしく、そこを辞めて世界中を回り、5年目におれと出会う事になる。
宿ではお互い挨拶ぐらいで深い話もしなかったので、彼については良く知らない。

ただ、色んな所のインフォメーションノートで彼の名前を見る事が出来るので、
有名な方だ。
物腰は柔らかく、旅の情報は快く教えてくれた。

elvisさんは見たからに、長期旅行者。
もっさもっさのひげをたくわえ、いつも何かを宿の談話室で書いていた。
「今、ヨーロッパのエルビスノートを書いてるんです」

elvisノートとは、地球の歩き方の超細かいバージョンで、
本家地球の歩き方が無い地域の情報も載っている。
話しに聞いたのは、南米を歩くときには、ものすごい便利なノートらしい。

少しの間で彼ら2人と遭遇したおれは、「上には上がいるもんだなあ・・・」と感じた。

その後も、この宿には、長期旅行者が次々とやって来ては、軽い沈没をして次の町へ移動していく。
正直、この手の人種とは馴染めなかった俺は、残りの時間をイスタンブール散歩に費やした。

宿主のファティと昼飯を食いに行ったり、宿の客引きをしているファティの友人のエンギンと道端でおしゃべりして過ごす。
そのうち、アザーンも普通の生活の一部の音となり、気にならなくなってきた。

話を戻し、彼らは何故旅を続けるのだろう?

日本社会で嫌な事があったから?世界中を見て回りたいから?
確かに旅は素晴らしいモノだと今でも思う。
しかし、旅は日本社会の現実から逃避する為の手段ではない。

ただひとつ得られるモノはといえば、「自信」だろうか。
その自信を携えて、日本社会へ戻る。
それに疲れたら、また旅へ出ればいい。

決して、自分の国を「旅をする為のお金を稼ぐ場所」であってはならないと思う。
長期旅行者を見ると必ずそんな気持ちになった。

 

 

 

 

旅のツワモノ

少し、旅日記から脱線。
これはあくまで、2002年当時のお話し。

結構な旅を続けてると、以前書いたみたいに、その土地々にある安宿のインフォメーションノートに助けられる事が多い。
「ここの銀行は換金レートが良いぞ」「ここの飯屋は安くてうまい」などなど。

その土地から次の町へのアクセス方法、国境情報など。
パッカーにとって有益な情報が書いてある。

そんな中、結構な確率で見る事が出来る名前がちらほら出て来る。
「lovery NOBU」、「elvis」。

この二人の名前はかなりの確率で出て来た。
この二人、あった事が無い人の間では、うわさになっており、
実際に会った人は少ない。

NOBUさんは5年くらい世界中を回っているパッカーで、主に、アジア・ヨーロッパ圏でこの名前を見る事ができるようだ。
対してELVISさんは、長期パッカーでは知らない人がいなのではないかと思うぐらい有名な、あの「ELVIS NOTE」の作者であり、
主に、中南米でこの名前を見る事が出来る。

この「ELVIS NOTE」は細かい情報・本人の直筆のイラスト付きで、その町の情報が網羅されており、
「南米・アフリカを回るんならこのノートがないとやってらんない!」とまで言われたノートである。

その他にもこの人は「ELVIS 文庫」なる、日本の小説にエルビスプレスリーのイラストを描いて、世界中の宿に置いてきている。
それは、持ち出し自由で、
本はパッカー間を経由し、世界中のあらゆるところに移動していくという、
すこし、壮大な文庫が存在している。

ちなみにおれが手にした「ELVIS 文庫」はシリアにあり、これは、アフリカからスタートしている。

そんな、うわさでしか聞いたことがない二人にイスタンブールで遭遇した。

Travel ep37 えっちゃんの落し物2

俺たちはカフェを出てすぐの公衆電話へ向かった。
隣りの商店でテレフォンカードを購入し、紙に書いてある電話番号に電話をかけた。

電話の主は男性で、聞きとりやすい英語を話した。

おれ「あの~えっちゃんの友達なんですが、あなたが彼女のパスポートを持っていると聞いて電話したんですけど」
怪訝そうな声だ
男「なんだお前は?えっちゃんに頼まれたのか?」
おれ「そうです。彼女良く英語が分からないので、俺が頼まれました。」
男「そこに彼女はいるのか?」
電話を変わる
えっちゃん「マサさん何言ってるかわかりません」
再び電話をかわる
男「彼女と話したいんだ」
おれ「だから言ったでしょ。えっちゃんは英語がわからないんだって!」
すこし半ギレ。
聞いておかなきゃいけない事がある。
おれ「っていうか何であんたがえっちゃんのポーチ持ってんだよ?」
男「トルコの宿や警察は信用できないからな。連絡を待って、本人に渡す事にしたんだよ」

話の内容から少しずつだが事情が掴めてきた。
この男は、えっちゃんが泊まった、部屋に次の日宿泊。するとポーチが落ちていたので、宿の主人に言ったがどうも胡散臭い。
ポーチの中にはお金もトラベラーズチェックも含まれていたので、このまま宿に預ける事はまかりならんという事になったようだ。
その後、ツーリストポリスにも行ったが、ぞんざいな態度をされた為、ここも危険だという事に。
んで、結局自分の帰国の日が近づいたので、自分の住所を宿に渡して、イタリアに帰ってしまったそうだ。

こいつ、親切なんだか不親切なんだか良くわからん。

そうこうしていると、テレフォンカードの残数が無くなってきた。
おれ「電話切れそうだからまた後で電話するわ」
ガチャン。電話を置いた。

その場で彼女に事情を説明する。
え「そういうことでしたか…」
少しうなだれるえっちゃん。

再び、テレフォンカードを購入し、TRY。
おれ「とりあえず、そのポーチをこちらの指定する宿に送って欲しいんだけど」
男「トルコに?だめだだめだ。彼女はイタリアに来れないのか?」
えっちゃんイタリアに来いって言ってるよ?

大体、金もパスポートも無いのに、どうやって行けと言うのか。
要人深いにもほどがある。イタリア人ってもっといい加減なイメージがあったが。
男が話しだす。
男「ではイタリアのインターポールに送ろう。そこからトルコのインターポールに送ってもらって、そこで貰うというのはどうだ?」
おれ「インターポール!?」

インターポールっていや、あのルパン三世でおなじみの「銭形のとっつあん」がいるあのインターポールか?
っていうか、この案件、そんなおおごとか?
またもや、電話が切れる。

おれ「なんかインターポールに送るって言ってるよ。結構おおごとになってんのか?」
えっちゃん「え、インターポール?どうしよう…」
これはらちが明かない。指定した場所へ送ってもらうのが最善だが、誰かの手助けが必要だ。

おれ「えっちゃん、ツーリストポリスに行こう。んでそこからもう一度話してもらって見みよう」
その足で、旧市街にあるツーリストポリスに向かった。
その場にいた警官に事情を話すと、奥の部屋に通された。
そこにいた偉そうな親父に再度事情を説明。
これがまた熱血漢ってな感じで結構良い仕事をしてくれたのだ。

警官「なんだ!その話は!わかったおれが直接そいつと話してやる!」
息巻いて男に電話する親父。
警官「もしもし!こちらはイスタンブールのツーリストオフィスの○○だが。事情を聴いたが、何故直接郵送できないんだ!」
5~6分の押し問答が続く。男がガンとしてインタポール案を推し進めているようだ。
ただ、この警官も引きさがらない。なかなか頑張る。
警官「ここに送ればいいだろ!それから本人に直接渡すから」

話がまとまらないようだ。
おれが受話器を変わり口を出す。
おれ「オッケー、オッケー。トルコが信用できないのは十分分かったよ。んじゃインターポール経由でも構わないから、こちらの領事館(大使館はアンカラにあるので遠い。)に送るってのはどうだ?」
男「ああ、それなら良いよ。それじゃ、イタリアのインタポールにはそう指示しておく事にしよう。」
インターポールに知り合いでもいるのだろうか。結局は領事館宛に郵送してもらう事になった。

警官に事の旨を伝え、握手をした。
おれ「いやいや偉大な仕事をしてくれたよ。ありがとなおっさん。」
警官「そうか!無事届いて旅が続けられると良いな」

警察署を後にした。
えっちゃん「まささん、ありがとうございます。」
その後えっちゃんは仮のパスポートを取って、無事に旅行を続けたようだ。
以下はえっちゃんから届いたメールだ。

マサさんへ
どうも先日はお世話になりました。今度こそ帰国されたそうで
何よりです。
私の方の例の紛失の事ですが、やっと話が着きました。初めは
イタリア警察からインターポール経由でトルコ警察に届くとい
う話でしたが、現金が入っていたので、現金は普通に輸送出来
ないのでイタリアにある日本大使館から日本の外務省を経由し
てトルコの領事館に届くことになりました。一度日本に帰って
しまうので、えらく時間がかかるみたいです、一ヶ月位・・・
。ちょっと待ってられないので、トルコではなくエジプトに送
ってもらって、その間に中東を旅してエジプトで受取る事にし
ました。チェックだけ再発行しましたし。
なんとか解決して一安心ですが、またアホなことせん様に気を
引き締めていこうと思います。色々御迷惑をおかけして申し訳
ありませんでした。これから頑張ってモクちゃん追いかけます!
ではまた

 

 

 

つまりはまた話が元に戻って、ひと悶着あったらしい内容だ。
実に面倒くさい。その後、また連絡が来る。

マサさんへ
今カイロにいます。例の貴重品は昨日、無事大使館にて受け取
れました。其の件ではお世話になりました。これで安心して旅
を続けられます。ありがとうございました。

これからタイに飛ぶ予定です。なんかモクちゃんも同じ位にイン
ドから飛ぶらしいのでまた会いそうです。カイロでも会ったの
に...行く所似てるなあ

どうやら無事に旅がつづけられているようだ。
この後えっちゃんは、アフリカを縦断して、南アフリカから、東南アジアに飛ぶという、とても女の子一人で行かないようなルートを旅する事になる。
小さくてかわいい外見だが、パワフルに動き回っていたのがとても良い印象だった。

 

やっほー元気に南下してます。タンザニアに入りました。明
日2泊3日かけて列車でザンビアへ向かいます。
こっちは南半球に入ったのでどんどん夏に向かっています。そ
う思うと、えらいトコまできたなーって感じです。
南アフリカから東南アジアへ飛ぶ予定ですし、私の夏は日本に
帰るまで続きそうです。
英語は勉強中ですが、既に気持ち悪くなってきました。スワヒ
リ語の方が日本人には簡単な気がします。

えっちゃんの旅は続く。

 

 

Travel ep36 えっちゃんの落し物1

次の日、またまたイスタンブールは「tree of life」に到着。
夜に到着したので、寝る。
このころになると、宿は半分が沈没組・半分が移動の立ち寄り組だ。
イスタンブールからは実にいろんな所に行く事が可能だ。

ヨーロッパ方面へは、ギリシャ・ブルガリア
アジア方面はイラン・グルジア
中東方面はシリア
なにせAIRが安いので、世界のどこにでも行けちゃう。
まさに旅の中継基地としては持ってこいの場所だ。
という事は、様々な場所で出会った旅人とも偶然ここイスタンブールで会えちゃったりする。

この偶然の再会が面白い。よっぽど仲が良くなった人との突然の再会は決まってこうだ。

「あれ~?まだこんなところいたの~?」

宿滞在も2,3日過ぎたころ、飯を食いに出かけ、また宿に帰って来ると一人の日本人の女の子がいた。
アンタルヤで会った「えっちゃん」である。
えっちゃん「あ、マサさん!こんなところに!日本帰ったんじゃなかったの?」
えっちゃんはまだ20歳前半。とてもパワフルな小さい女の子で、ヨーロッパからイスタンブールへ。イスタンブールで1度出会い、その後、トルコ国内をぐるぐるして、
アンタルヤでまたまたおれと会う(つまり俺がベルギーやギリシャに行っている3か月近くをトルコ国内でうろうろしている事になる)。
そのころは前に書いたモクもいて3人でしばらくアンタルヤ滞在を楽しんだ。
つまり三回目の再会だ。

「マサさんちょっとお話が…」神妙な面持ちのえっちゃん。何かあったんだろうか。
金もあまっていた事だし、お茶でも飲もうという事なので、カフェに行った。
え「実はパスポートとお金とトラベラーズチェックが入った首下げ袋を前の宿に忘れてきてしまったんです。」
おれ「ああ!おれもやったんだよ~アンタルヤで~(笑)大丈夫、大丈夫。んで、どこさその宿って?」
え「イスタンブールなんですけど…」
おれ「んじゃもっと楽だ。今から一緒に取りに行くかい?」
え「それがちょっと複雑で…」

話の内容は実に不可思議なものだった。
え「実は一昨日この宿(tree of life)に来たんです。着いてから次の日に無いって気づいて、急いで取りに戻ったんです。」
おれ「ふんふん、取りに帰ったわけだ。」
え「そしたら、無いっていうんです。」
おれ「はっ?無いって、ごましてんじゃねーの?」
え「そしたらどうも違うらしくて、この紙を渡されたんです。」

そこには何故か、イタリアの住所と電話番号とおぼしき数字。
おれ「んでこれは?何?」
え「宿の人がイタリア人が(パスポートが入ったポーチは私が持っていくから、本人から連絡があったらここに連絡しろ)って言われたそうなんです。」

話しがちんぷんかんぷんだ。何故イスタンブールで無くしたポーチをイタリア人が持っているんだろう。
おれ「んで電話してみたの?」
え「いや、それが英語が全くわからないので電話してもよくわからなかったんですよね。それでお願いなんですけど電話してもらっても良いですか?」
現段階までの状況を頭で整理して最良な結果はこのtree of lifeの主ファティに相談する事だったが、今は絨毯の買い付けに行っていてしばらく帰って来ない。

カフェを出た俺らはえっちゃんと公衆電話でTRYしてみる事にした。

Travel ep35 サフランボル観光

宿に着いたのは、朝方、一度寝てから起きると、夕方だった。
食事は、宿で食べる。野菜中心のいかにもトルコらしい煮込み料理だ。
家庭の味はどの国でもやはりおいしい。しばらくトルコにいるが、トルコ料理は自分にとってぴったり合うようだ。
ただ一点豚を食べれないのを除けば。
やはり日本人。とんかつが食べたくなる。

その後、酒を買いに、商店まで行くことにした。
ここトルコでは恐ろしいほどのシェアを占める「EFES BEER」
どの町にいってもこれしか置いてない。
たまには、という事で、ウォッカを買った。割り物でコーラも買う。
宿の2階にちょっとしたバルコニーがあったので、宿で氷を貰い、そこで飲んだ。
そこに韓国人の男の子、しばらくこの宿にいるらしい日本人の男の子と、飲む。

またまたそこに、この宿のおばちゃんと、子供が来る。
子供はエアガンで近くに木に止まっていた鳩を見事に撃ち殺し、下に駆け下りていった。
明日の朝食にでもなるんだろうか。ポッポー

観光地巡りも良いが、こういう一期一会的な出会いがとても面白い。
また、明日にはみんなバラバラになり、世界を旅するのだ。
お互いの行った場所を話しながら飲む酒は格別だ。
特に、この3人は今まで行ってきた場所が異なった為、話が新鮮だ。
日本人の子は以前ここに泊まってから、カッパドキアなどに行ったが、ここが居心地良く結局戻って来てしまったとの事。
韓国人の子は、これからイスタンブールに戻り、飛行機でスペインに行く予定だという。
旅の終盤に迫った自分に対して、これからの2人。羨ましくもある。

次の日、村観光に出かけた。
本当に何百年も変わっていないような村の中は時間が止まったようだ。
居心地が良いので戻ってくる気持ちが少しわかる。
村を一望できる場所に行って、村の全体像をつかむ。ちっちゃい村だ。

そのあとは、民家の軒先などを平気で歩き、ぐるぐる回っていると同じ場所に出る。
観光客は少なく、欧米人は宿の2人以外見なかった。
あまりメジャーでは無いのか。
夕方になり疲れて来たので、お茶屋に入ると親父が話しかけてきて「バックギャモンをやるべ」ときた。
よしきたってなことで、勝負。
ここトルコだけではなく、「バックギャモン」はギリシャ、シリアでもメジャーな日本でいう将棋の様なもので、
ただ、サイコロの目がでたとこ勝負の要素が大きく、運も必要だ。
おれは、このやり方をシリアで同じように入ったチャイ屋のおやじと、しばらく一緒にいた日本人に教わった。
しばらくすると俺らの盤上に周りのオヤジどもが群がり、「ジャポンジャー!(日本人)今のはここを動かすべきだったぞ!」
「ああ、違う!違う!」結局は、親父1人VS日本人&サフランボルバックギャモン愛好会との戦いに。
こうなって来ると、チャイはただで出て来るし、ボレッキ(小さいパイ状の中に煮込んだ肉が入ったものすごくおいしい)食べ放題。
結局2時間ほど勝負した。結果は覚えてないけど。

片言の(本当に原始人なみ)のトルコ語を話すと必ず(トルチェビリヨルム?なんだお前トルコ語話せるのか?)といって話しかけて来る。
これまた、アンタルヤで習った(ああ、お前よりは上手だぞ)を付け加えると、必ず笑いが起きる。
現地語を少しでも話せるのか、話せないのかでは旅の面白さが大きく変わって来る。
言葉は重要だ。

この村はとても昔ながらの風景(って言っても昔のトルコは知らんが)が良く残っていて良い村だった。
また何年後かに行ったら、ここも少しずつ変わっているのだろう。
結局、宿の良さ、村の居心地の良さに3泊した。

宿を出るとき、宿の親父に金を払おうとすると、「お前は、2人お客さんも連れて来たし、もっといろんな所に行って宿の紹介をしてくれ。だから普通の半額で良い」
と言う。
おれ「そりゃ駄目だ。これは商売だろ。だから普通の金額を取ってくれよ。ちゃんと宣伝はするからさ」
正直言うと、少し、イスタンブールで降ろした金が多く、イスタンに帰って飲み明かしてもだぶつく状態。
それに、ここまで居心地のよい場所にはちゃんとお金を払いたかった。

最後まで、気持ちの良い家族だった。
おれはまたイスタンブール行きのバスに乗った。

Travel ep34 地図にて

サンフランボルはとても良い町だ。
観光客も少ない。これはきっと、トルコの有名な観光どころは次から次へ行けるのに対して、サフランボルは「サフランボルをわざわざ見に行かなければ」いけないからだ。
これはどういう事かと言うと、まず下の地図を見てほしい。
以下はあくまで私見だ。「んなことたあねえだろ!他にもいろいろあるじゃない!」と思う方もいらっしゃるとは思うが、だって現地の人々が言ってたんだもの!

ピンクが「Istanbul」たいていの方はここからトルコがスタート。ちなみにイランから来た方は地図の右の方。シリアから来た人は下の「Antakya」が玄関口。
○で囲んであるのが、主な観光地。「Lazer pensyion」があるアンタルヤ。世界遺産のパムッカレ。これまた世界遺産のエフェス。これまた世界遺産のカッパドキア。またまた世界遺産のトロイ。
場所的なものは地図左端にあるのが、トロイ。
クシャダス付近の○がエフェス。
デニズリの上の○がパムッカレ。
右に行って、○で囲んでいるカイセリがカッパドキアの玄関口。
大きい赤い○が首都アンカラ。

そういや、「アンカラ行ってきました!すごく良いところです!」っていう旅人は皆無だ。話によるとなにも無いらしい。
現地の人に聞いたのでこれまた定かではないが、「首都防衛」の観点からアンカラになったらしい。
ISTANBULは海際。艦隊来たらやられちゃうもんな。
んで、サフランボルがある「カラビュク」は青い観光ルートからは離れている。

ヨーロッパ人が好んで参加する、「トルコ観光ツアー(たいていはイスタンブールで予約)」はだいたいがこの青いルート。
こうやって見るとサフランボルの玄関口の「カラビュク」結構離れてるでしょ?
「わざわざ行かなきゃいけない」というのはこの為だ。

トルコでは大体の旅人は目的地までのダイレクトバスに乗る。つまりは小さい町、あまりメジャーじゃない町はかっとばして、次の観光地へ向かう。
特に地図右側は2002年当時、外務省から「あんまり行かないでね」とやんわり注意喚起。
実際、何人かの日本人が行方不明になっている。
でも、キリスト教の宗教遺跡が多いのはこっちの方かな。
つまりは、この青いルート上であっても、1時間程度の休憩はするものの、ほとんどの旅人は、「こんな町あったっけ?」状態。
でも、旅ってそんなものかもしれない。

観光地としてメジャーでは無いけど、結構良い町がある。
せっかくの海外、メジャーな場所だけ回るのではなく。「適当にバスに乗ったら着いた町」なんてのも面白いかも。

Travel ep33 Safranbolu

サフランボル。

サフランボル(トルコ語: Safranbolu)はトルコにある街である。カラビュック県に属し、2000年現在の人口は、47,257人。黒海から100km離れた場所に位置し、トルコの首都アンカラからおよそ北200キロメートルに位置している。町の歴史は11世紀に遡ることが可能である。1994年、UNESCOの世界遺産に「サフランボル市街」の名で登録された。(ウィキより)

銀行のキャッシングサービスで金を下ろす。クレジットカードは便利だ。
イスタンブールからは、長距離バスで7時間ほど。深夜にイスタンブールのオトガルを出たバスがサフランボルに到着したのは早朝だった。
厳密にうと、サフランボルの町に直接乗り込むわけではなく、手前の町カラビュクに到着する。
バス停から、インフォノートに記載されていた、「バストゥンジュペンション」に電話をすると、迎えに来てくれるとの事。
少しの間バスのオフィスにいると、白人女性2人がオフィスの親父と何かを話している。

どうも、オフィスの親父は英語が駄目。トルコ語オンリー。白人二人は、何か母国語を持っているようだが、英語で話している。んでトルコ語がさっぱり分からず。
お互いの話が少しだが、分かる。アンタルヤで母ちゃんとコミュニケーションを必死で片言のトルコ語で取っていたせいか、トルコ語に耳が慣れてきたようだ。
どうやら2人はここから200km先の首都、アンカラに行きたいらしい。でも親父はちんぷんかんぷん
地図を指して、「ちがうがう、ここはアンカラじゃない!」ってなことを言っている。(そりゃ誰だってわかるぜ。こんなちっちゃい町が首都なわけねーだろ)
仕方なく、介入。
俺「アンカラに行きたいんですよね。」
白「そうなの~。通じないのよ~。しかもここはどこなの?」
サフランボル→アンカラを目指して来たわけだが、「ここはどうも違う!」ってな事になり、少々パニック気味。
俺「サフランボルへはここから、20~30分かかるらしいです。今、宿の親父来るから一緒にどうですか?」
白「そう!そりゃ良かった。ちなみに、アンカラまでの道のりを聞いてくれない?」
片言のトルコ語で親父と話す。
俺「彼女・明日・アンカラ・行く・バスある?」
原始人か?

親父はDIRECTバスが無いという。(定かではないが、道路が封鎖されたのか、時期的に無いのか)
俺「とりあえず、ここから今の時期なのか、道路が封鎖されているのか、無いらしいです。」
白「そうなの~他に行く方法は無いのかしら」
俺「アンカラ・行く・バス・何処?」
親父は地図で少し手前の町をさした。
俺「ここだそうです。ここからなら行けるって。」
白「そう!どうもありがとう。それであなたは何人なの?」
顔を見たら一発で分かるだろ。フランス人です。ボンジュール。

そうこうしているしているうちに親父が到着。
2人の事を話すと、なんだ、客引きまでやってくれたのか、どうもどうも、と喜ぶ。

バスで谷を降りていく。
赤屋根の家々が次第に見えて来る。町というより、村だ。
「バストゥンジュペンション」はツーリストにはとても有名で、その日も、
先ほど俺が客引きをした、白人2人、韓国人1人、日本人カップル2人が泊まっていた。
100年前から変わらない、スタイルの宿で、何故か風呂と、トイレが50cm程、高い位置についており、ドアは小人専用かの様に小さい。
一人だが、2人部屋をあてがってもらい。少し寝た後、町を散策する事にした。

Travel ep32 10日間の延長決定

旅の最中、俺はパスポート入れ2つで貴重品を管理していた。1つは足首に巻くタイプのものと、もうひとつは首から下げるタイプだ。
バックパックには隠しポケットが付いており、そこにもクレジットカードを1枚入れておいた。
足首に巻いているものには、パスポートと現金、首から下げていた袋にはAIR CHICKETやTRAVELER CHECKや大きい額の紙幣だ、+普段使う財布。
旅の当初はやたらと神経質になって、そこにあるか、常に触ったりもしていたのだが、そのうち、こなれてくると、だんだんと本来のずぼらな性格が出てきて、
結局は、緑の首から下げるタイプに全部押しこんでいた。んで、財布に現金全額。
が、そのうちこれにも嫌になってきて、(おれがしていた緑の首から下げるタイプの袋はやたらとでかい)宿の枕の下に袋ごと置く始末。
町へは財布1つで出かける。

そう、読んでいる方はもうわかっただろうが、ANTALYAで泊まっていたドミトリーのベットの枕の下に置いて来たのだ。

ファティに、ANTALYAのLAZER PANSIONに電話して頂く。電話に出るのは、トルコ語しか話せないばあちゃんだからだ。
以下は話の内容だがトルコ語がそこまで分からんため、あくまで予想だ。
ファ「あの~、2日前に泊まっていたマサの知り合いなんですけど、どうもこいつパスポートが入った、袋を寝ていたベットの枕の下に置いていったって言ってんすけど、分かります?」
ばあ「ああ、あったよ!どうするかみんなで考えていたところだよ!取りにくんのかい?」
ファティが俺に向かって言う
ファ「あの~、あったそうです。それであなた取りに来るのかって聞いてます。」
おれ「さすがに取りに行くには遠くね?帰る日寸前だぞ絶対間にあわないじゃん」
ファ「そうですね。そしたら送ってもらいます?」
おれ「そうしてもらえると助かるけど、頼んでくんない?」

ファ「それをイスタンブールに送って欲しいんですけど。え、はいはいここの住所は…」
電話を切るファティ。どうやら成功だ。
ファ「ここに送ってもらいますね。」
俺「ありがとう!助かった。」

とりあえず一安心した俺は、出発までの2日間土産物を買ったり、飲み行ったりして時間を使った。いよいよ帰るのか…
しかし!帰る前日になっても届かない。こらまずい事になった。
ファ「あなたのチケットはFIXですか?」
おれ「そう、だからまずいよね~帰れなくなっちゃう。」
お金はすべて土産ものにつぎ込んだ。残っているのは500円ぐらいか。

ファ「AIR COMPANYに電話して、出発日ずらせないか聞いてみましょう」
おれ「そんなことできるかな~、んでもダメ元でやってみてよ」
ファティにシンガポール航空のイスタンブールオフィスに電話してもらう。
なんと!10日間ずらす事ができるではないか!
みなさんもダメ元でやってみよう。FIXは出発日の変更ができる可能性があるのだ!
そこには大きな要因が1つ。
それは「現地語をしゃべれる奴に事情を、航空会社に話してもらう。」
これに尽きると思う。

本来の出発日が過ぎて2日ぐらい経ってから宿に一本の電話が来た。
「○○○ていうバス会社なんすけど、なんか預かり物が届いていて、アクサライのオトガルまで取りに来てくんないすか?」
そう、日本人の感覚として「送る」とは宅急便だが、今回は「イスタンブール行きのバスに乗せた」という事。
ファティがせっかく宿の住所まで教えたのに、そこに送るというアイデアはハナから無く、ばあちゃんは、知り合いのバス会社に
「これ、イスタンブールに持って行ってくんない?んで着いたらここに電話してくんない?」ってな感じだ。
バスを宅急便代わり。いかにもトルコ。でもトルコにちゃんと「DHL」はありますよ!
オトガルまで取りに行き、無事、自分のパスポートを取りに行く事が出来た。

心配の種も1つ解消し、金は無いが時間はある。
近くで良い観光地はないかなと考えていると、宿のインフォメーションノートに「サフランボル最高でした!!特にこの宿が…」という書き込みを見つけた。
よし、行ってみよう。と思った。

Travel ep31 Lost the Passport

ここ、ANTALYAはローシーズンを迎え、
お客もまばらになってきた。基本的に気候が暖かいANTALYAは、国外、国内から暖かい時期を狙って、
観光客が押し寄せる。それに対して、寒い季節はお客が1日1組という事も珍しくは無い。
まだまだそんなには寒い季節とは言えなかったが、まだ俺にはトルコ国内で回っていない場所がたくさんあった。

おれはトルコ国内の3大観光地である、「パムッカレ」「エフェス」「カッパドキア」に行ってなかったのだ。
これは日本でいう所の「京都」行っていないという事に等しく。
観光という面では、全くトルコを回っていなかった。
日本へ帰るFIXも期限が近付き、さてと、重い腰を上げることにした。

俺「そろそろここを出ようと思うよ」
エル「そう…帰るのか」
俺「とりあえず、イスタンに戻るわ」
エル「また、必ず来てね」

次の日、世話になった、宿の母ちゃん・父ちゃん・エルのお兄ちゃん2人・居候のジェンギスに別れを言う。
みんな仲良くなり、少し寂しい。
とても良い思いでが残る町となった。
ここ、ANTALYAではラフティングをして、アスペンドス(世界で一番綺麗に現存する円形劇場)に行き、海底に眠る町ケコワ島ツアーに2回行き海水浴を楽しんだり、エルの家に行ったり、エルと車で町を走っていると、後ろからオカマをほられたり、海でバーベキューをしたり、エルのかわいい2人の娘と遊んだり、
とても楽しい思いでが出来た。
ここにはまた必ず来るだろう。

カレイチ(旧市街)を歩くのも最後という事で、お友達になった、絵描きの親父の所へ行った。
ハドリアヌス門の近くで自分の書いた絵を売っている親父に別れを言う。
親父は、自分で書いた売り物のカレイチの絵葉書を3枚くれた。

当日、バス停までエルに送ってもらった。この頃には、男同士で抱擁するのもすっかり慣れ自然にする。
かくして、おれのANTALYA生活は幕を閉じた。

またまたバスに7,8時間揺られイスタンを目指した。

たまにはイスタンでも違う宿に泊まろうと考えもしたが、イスタンに着いたのが深夜だった為、結局「TREE OF LIFE」に向かった。
夜はファティの親父さんが店に泊まっているので、深夜に申し訳ないと思いながら、呼び鈴を鳴らす。
ドアはあき、「おうjin、帰って来たのか~お帰り、お帰り」やさしく入れてもらった。
俺がついてしばらくするとまた呼び鈴がなる。
すると下から「マサ~!(おれはトルコでマサと呼ばれていた)」と呼ぶ声がする。
なんだ、なんだで行ってみると、白人だ。
白「宿捜してるんだけど、ここは宿かい?」
俺「まあ、確かに宿だけど、日本人ばっかだぞ」
白「今日1日でも泊まれるかな?」
親父に説明する。ごにょごにょ。
結局良いって事になり、1泊する事になった。

その後、宿の説明をして、ふろにから上がって来ると、
最上階の談話室で日本人2,3人の中にぽツンのいる奴を発見。お話する事になった。
彼は旅行者としては珍しいマケドニアからの青年で、英語を流暢に使った。
白「こうやって、各国の定宿がコミュニティとして存在しているんだね」
俺「そうだね、イスラエルや韓国、ドイツ、日本人が集まる宿って結構多いかもね。それにしても、マケドニアからの旅行者てめずらしいなあ」
白「そう思うよ、でも日本より俺の国の方がここには近いけどね(笑)」
俺「そうだな。でもさっきの話じゃないけど、せっかく国外に来てるのにわざわざ自国民でつるむ必要は俺は無いような気がするけどね。って言ってるおれはやっぱり、楽なんだな。だからここに来てしまう」
白「でもそれわかる気がするよ。少し安心するもの」
俺が行って来た町や、彼が訪れた町の話を俺が買ってきたビールを飲みながら話す。
次の日、駅まで行くという彼を送ってシルケジ駅まで一緒に行った。
「良い旅を」

お昼過ぎに、ファティが店に来る。
「お~うマサ、お帰り。ANTALYAはどうでした~?」
いやいや良かったよ。あ、そういや俺昨日遅くに来たからチェックインしてないや。

おかしい、カバンからパスポートが入った、緑のパスポート入れを探すがどこにも無い。
あれ、冷や汗が出て来る。あれには、帰りのチケット、クレジットカード、パスポートなどが入っている。
しかも帰るのは明後日。
まずい!どうするべ!どこに忘れてきた!
記憶を辿る…

あ、ANTALYAだ!

Travel ep30 旅のありかた

宿からモクも去り、宿の主であるアベサンも帰ってきた。
宿には、2泊~3泊の日本人と、イスタンブールでツアーを組んだヨーロッパ人が毎日のように入れ替わる。
俺は、毎日宿の掃除に明け暮れ、昼から、宿に泊まっている観光客を案内がてらカレイチ(旧市街)をお散歩した。
ほぼ毎日顔を合わす、土産屋のおやじやおばさん。
挨拶をして、お茶を飲む。
昼は自分で買ってくるか、自炊だ。
パスタかブレッドだ。米は炊けないので食わない。
どちらにしても、トマトとフェタチーズ(ヤギの乳)とオリーブオイル。
素材が良いのか馬鹿みたいにうまい。

そんな生活がここANTALYAで1カ月近く続いた。
こうなってくると、毎日のペースが出来てきて、とても楽しい。
気にいった場所で暮らす。とてもパーフェクトな毎日だ。

いろいろな旅人がいる。
ある日なんかは、アメリカ人が庭でビールを飲んでいる俺に話しかけて来て、
ア「次に行くところなんだけどさ~、パムカッレ行って、カッパドキア行って、イスタンブールに入って、そこからギリシャ行って、イタリアまで船で行って、
モナコ行ってフランス行って、スペインからアメリカに帰ろうと思うんだけど、2週間しかないのさ。行けると思う?」
おれ「すんごいタイトスケジュールだな。おれだったら、2週間はトルコで終わりだな。行けてもギリシャのアテネ止まりだと思うよ。」
ア「っていうかチケット買っちゃったんだよね。バルセロナからのFIX(出発日時は基本的にずらせないチケット。その分安い。)」
おれ「そりゃバルセロナまで飛行機でいくしかねーよ(笑)絶対間に合わない。保障するぜ!!」
その後、色々話し、学生である事が判明。
奴のカバンからこれから行くだろう国のガイドブックが出てくる出てくる。その数5,6冊。
おれ「お前、これ全部持って旅してるの?カバン中半分がガイドブックで占めてんじゃね?」
ア「半分どころじゃないよ。他にも、小説(海外の小説はやたらでかくて分厚い)3冊、3分の2が本だね(笑)」

ここで、少しバックパッカーの持ち物について話そう。
まず、欧米系と日本人のバックはでかさから違う。
お姉ちゃんでも余裕の顔で70リットルクラスのカバンを持ち歩く。
それにすら入りきらない、寝袋が必ず、外側の上についている。
んで、中をのぞいてみると、おそらくこれは絶対必要ないだろうな。というものが、カバンの約半分を占める。
ガイドブックのたぐいはかなりの高確率で2,3冊常備されている。
中には、ギターを持った奴、その国々で買った楽器を持っている奴が多い。
それに対して、日本人はどうだろう。
せいぜい、50リットルのカバンで必要最小限のもので歩く。
長期旅行者になればなるほど、ガイドブックは持っていない。
ちなみにおれはカメラ3台・フイルムが100本超あったので70リットル。
その他に、冬用ジャケット、着替えが3組、洗面用具、寝袋、小説3冊。
旅の途中で、Tシャツや着替え、サンダル、小さいリュック、ズボン、シャンプーなどは買い足し、冬用ジャケットやフリースは各地で旅人にこれから行くところを聞いて、必要ならあげる。フィルムもあげる。
最終的には、日本から持ってきた、着替えなどはすべて処分し、日本に帰るときには、MADE IN SRYIA・TURKEY・GREECEで帰った。
結局は、帰る寸前のカバンの中身は半分になった。
総重量は13kgだった。結局はカメラが1台ぶっ壊れ、フィルムも50本取ったか取らないか。
今でこそデジカメんの時代になり、大変便利になったが、
当時はフィルム全盛時代。みんな重い荷物をしょって旅したもんだ。

これは俺が見た限りなので必ずそうだとは限らない。
ただ、欧米人は確実におのれの体力を過信している。
そこがまた、あいつららしくて良いんだが。
長期で同じ場所にステイする欧米人も少なかった。次から次へ移動し、
まさに「THE・観光である」
日本人でもちゃんちゃん動き回るやつはいるが、大概ズーと宿で何をするわけでもなく、ただ毎日をぼけーっと過ごすのは日本人だった。
カバンの重さや旅のスタイル、どちらが良いかは、その人それぞれの旅のスタイルだろう。

でも、何故か「こいつはこういう旅があってるなあ」と思った旅をしていた。
みんながやりたように思い思いの旅をしている。
「せっかく国を出てきたんだぜ。楽しまないと!」オーストラリア人が言った。
その通りだ。

旅を楽しまないと。